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武下久美子
東海市在住。

1996年、病に倒れ、原因不明の難病「RSD」を発症。両足と手足の自由を失う。 発症から1年半が過ぎた頃、友人に勧められて絵と出会う。 以来、自宅で闘病生活を送りながら、わずかに動く右手で絵を描き続けている。 友人や家族の協力で、旧東海市民病院や東海市市民活動センターなどで個展も開催。 2002年には作品を集めた著書『自分との闘い 自分への励まし』を出版し、 病気と向き合う辛さや周りの人たちへの感謝の思いを綴った。 全身に強い痛みが走る難病と闘いながらも前向きに生きる武下さんの姿は多くの反響を呼んでいる。
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ぐるりお遍路の旅
JTB

2018年 7月 30日のコラム

松葉菊(マツバキク) 花言葉「心広い愛情」


私が住む,東海市加木屋町から,半田街道を北上しますと,
名和町の辺りに,『トドメキ』という珍しい名前の交差点があります。
今回は,私の大好きな昔話を書いて見ました!!それが,この『トドメキ』にまつわるお話です。

【平治二年(1160年)正月三日。源義朝は,野間で長田忠致・影致父子に殺されました。
京都でおこった平治の乱に,平清盛と戦って敗れた源義朝は,東へ落ちのびる途中,
ようやく尾張野間(知多郡美浜町)の長田の館に辿り着きました。
「長田はわが妻の親、きっとかくまってくれましょうに。」と,
第一の家来,鎌田政家にすすめられたからです。所が長田は,平家から褒美を貰う為に,
落ち目の義朝を裏切り,義朝が入浴中に暗殺してしまいました。
長田は,義朝の首を清盛の元に届けようと,京都に馬を走らせました。
その首を取り返そうと,義朝の家来の渋谷金王丸は,馬に乗ってその後を追いかけました。

ちょうど名和村の中ほどにかかる橋の所まで来た時,どうした事か,馬が一歩も進まなくなりました。
「はいし,どうどう。」金王丸が幾らあぶみを入れ,鞭を打ってもききません。
「これは不思議。さては,船津神社にお参りせずに通ろうとした事の,おとがめかも知れないぞ。」
そう考えた金王丸は,引き返して,うやうやしく神前に拝礼しました。
「どうか,ここを通して下さい。そのうえ,主君の敵を立派に討たせて下さい。」
そして,主君,義朝の持っていた,三条小鍛冶宗近作の銘刀を奉納しました。
すると馬は,やすやすと橋を渡る事ができました。
そこで,馬をとどめたこの橋を,『トドメキ橋』。川を,『トドメキ川』と,呼ぶようになりました。

なお,奉納された宗近の銘刀は,ながらく社宝として,船津神社に伝えられて来ましたが,
永禄三年(1560年)五月,尾張に攻め込んできた今川義元が,
自分の持っていた達磨正宗の刀と取り替えたと言われています。
正宗の刀は,現在,神社の宝物として保存されていますが,
宗近の刀は,義元の死と共に,行方不明になっています~。】 ~東海市の民話より~

《>< 猛暑の続く毎日,熱中症等、くれぐれもお気をつけ戴きますよう・・・!!》