ちたまるナビ会員の方

ID/Mail
パス
ワード

K's Gallery

武下久美子
東海市在住。

1996年、病に倒れ、原因不明の難病「RSD」を発症。両足と手足の自由を失う。 発症から1年半が過ぎた頃、友人に勧められて絵と出会う。 以来、自宅で闘病生活を送りながら、わずかに動く右手で絵を描き続けている。 友人や家族の協力で、旧東海市民病院や東海市市民活動センターなどで個展も開催。 2002年には作品を集めた著書『自分との闘い 自分への励まし』を出版し、 病気と向き合う辛さや周りの人たちへの感謝の思いを綴った。 全身に強い痛みが走る難病と闘いながらも前向きに生きる武下さんの姿は多くの反響を呼んでいる。
モバイル版
学校メルマガ
ちたまる安全安心メルマガ
東海市子育て情報メルマガ
ニュース
ぐるりお遍路の旅
JTB

2014年 2月 10日のコラム

クリスマスローズ 花言葉「想い出を懐かしむ」


孫の未侑ちゃん(小6)と歩君(小3)は、
学校がお休みの日にパパとママがお仕事になった時、
毎回ではありませんが我が家に来ます。

2人が来るのを楽しみに待っている主人。
今回は歴史が大好きな主人らしく、
「清洲城」に2人を連れて行きました。

太田川駅から名鉄電車で名古屋に行き、JRに乗り換え清洲駅に。
その駅から歩いて30分程の所に「清洲城」があり、
お城の中に入ると《女性武将隊》の方々がお出迎え☆^―^♪
女性武将隊の方々は清洲城についての「紙芝居」を
時間ごとにやっていて、
ちょうどその時間だったので紙芝居を観てから天守閣に登りました。

《清洲城天守閣とは、
清須市の郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、
戦国の世を終結させ、天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。
平成元年に現在の場所に「清洲城天守閣」として債権整備されました。
慶長15年(1610年)の「清須越」以前に登場する地名、
施設としての名称は「清須」「清須城」「天守閣」と表記。
「清須越」以降から平成17年(2005年)「清洲」と表記。
当施設の名称として使用する場合、
「清洲城」「天守閣」と表記》

この清洲城で有名なのが、「清洲会議」

《清須会議とは、
安土桃山時代の天正10年6月27日
(1582年7月16日)に開かれた織田信長の亡くなった後、
継嗣問題及び領地再分配に関する会議である。》

清洲城を後にして、次に向かったのが「清洲甲冑工房」。
テレビの旅番組で紹介されていた所です。
ここでは、この工房で手作りしている
「アルミ製甲冑」を見学して来ました。