「卯年(うさぎどし)」の2023年。“幸運が訪れるかもしれない!?”という思いの下、知多半島の「ウサギ」にまつわるスポットをちたまる編集部が探し出して、見つけ次第記事にしています!▼過去にはこんな記事も紹介しています!
知多半島のほぼ中央にある阿久比町。ここには今年の干支「ウサギ」にまつわる素敵な昔話があります。
知多半島道路・阿久比インターより約2kmのエリアにある阿久比町卯之山は、緑豊かな場所なエリアです。県道55号線沿い、名鉄河和線・阿久比駅から北西約1kmの丘に建つ「兎養山 弘誓院 長安寺(とようざん くぜいいん ちょうあんじ)」。
その名の通り、昔は野生のウサギが寺の境内に姿を見せていたとか。
阿久比教育委員会の看板
寺伝によりますと天台宗(てんだいしゅう)の開祖「最澄(さいちょう)」が教えを広めるための旅の途中、英比郷(あぐいきょう)に立ち寄ったそうです。
池の中央から金色の光が立ち昇るのを見て、そのとき、どこからともなく現れた白兎がその光を目掛けて飛び込み、一寸七分(約5cm)の阿弥陀仏の像をくわえて、最澄の手元に奉(たてまつ)ったと言われています。
ウサギモチーフの石碑も見つけました。
最澄はそのことを都の帝に奏上(そうじょう)すると、帝は大変喜び、池のほとりに勅願寺(ちょくがんじ)を立て「兎養山 長安寺」と名付けるように命じました。
そしてウサギが運んできた仏を阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)の胎内に納め、その後この辺りは兎養山の山号に因んで「兎之山(うのやま)」と呼ぶようになったとも伝えられています。
平治(へいじ)の乱や織田信長による焼き討ちなどで、寺は荒廃(こうはい)し再建が繰り返されました。
その後、天台宗から浄土宗へ改宗、そして現在の地「兎養山 弘誓院」が開山されたのは1533年(天文2年)。創建当時の阿弥陀如来像は戦によって焼失、胎内仏(たいないぶつ)は金でできていたとされ、焼失を免れた可能性があります。
しかし、お堂を建替えた時に胎内を調べてみてみると、
すでに中は空洞だったそうです。長い年月が経ち今はどこにあるかはわからないそうですが、またひょっこりとウサギが持ち帰ってくるかもしれませんね。
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阿久比町の昔話「ウサギの運んだ仏様」は、なんだか不思議で心温まる昔話です。ウサギが運んできた仏に、また会える日を願いたいですね。